毎年、この時期になると当院は、リンゴ屋さん??
と思うくらいリンゴ!リンゴ!リンゴ!でバックルームがいっぱいになります。
トップバッターは、院長の恩師、ドイツ語の先生です。
密いっぱいの美味しいリンゴ☆
富澤先生は医学部に入ったのに解剖学の実習で自分には向いてないと判断し、
急遽文学部に変更しドイツ語の先生になった方です。
院長は入学以来、先生の誕生日には、ご自宅に押しかけ奥様の美味しい手料理と富澤先生がチョイスされたワインや日本酒を沢山頂きます。
昨年は富澤先生のお誕生日に青森に向かう新幹線の中で震災に遭い、
栃木県の中学校に避難しカンパンを食べ薄手の一枚の毛布で寒さをしのぎましたが、
新幹線の中で揺れだしドンドン音が大きくジェットコースターのように揺れだし、
船のように横揺れが大きくなった時には、
死を覚悟し「院長のお陰で悔いのない人生でした!」と院長にお礼をしました。
「大丈夫!あきらめるな!」と一貫して冷静で動じない院長を見て
私は「この人は違う」偉業を成し遂げる神から選ばれた人は違うと思いました。。。
深夜2時まで寒さに耐えながら真っ暗な新幹線の車内で、お土産用に買った最中を周りの人に配り空腹もしのぎました。
避難所の準備ができたので小さいお子さんや妊婦さんやご病気の方から順番に降りてバスの用意されている場所まで荷物を持って1キロほど歩きました・・・
寒さで氷つく中、空を見ると満天の星空でとても美しく、まるで誰かがサプライズしているのか?
と思うくらい全てが一等☆で、いまだかつても見たことの無い星空でした。。。。。
あと何日ここに居るのかどうなっているのか不安でしたがこの☆が助けてくれるのではないか・・・・・・
とも思いました。
ただ、ただ私は院長を必要としている患者さん方のために
院長だけは何が何でも東京に返さないといけないので、避難所にいても周りの方々とコミニュケーションをとり体育館のアナウンスに耳を傾けました。
生まれて初めて、避難所生活しましたが、人間のあり方を見たというか性格そのものが出てしまうというか・・・・・人を学習しました。
そのとき、近くにいた八戸の30代の男性が出張で初めて東京に来て、
帰りの新幹線で地震に遭い八戸なので、家族とも連絡とれず
心配で早く帰りたいということで、飛行機なら大丈夫となり院長が一緒に東京にお連れして、
ホテルをリザーブしたり夕飯をご馳走したりしました。
その移動時間に家族や自宅は無事とご友人から連絡が入り喜んだのを思い出します。。。
「こんなに親切にしてもらい落ち着いたら必ず連絡します。何か美味しいもの送ります。」と
感謝されてましたが残念ながら未だに彼からの連絡は無く淋しいなあ(>_<)・・・・・・とおもいます。
未だに避難所生活の方がいらっしゃる中で、この日、あかの他人である院長の厚意を思い出さないのかな??と思います。。。。。。。。院長は本当に純粋で可愛い人柄です。。。。。。
そんなこんなで、富澤先生のお宅も停電だったらしく、院長の好物を沢山ご用意くださっていたので
ご近所に配って歩いたそうです。
なので今年のお誕生日はタッパー持参で伺い、タラフク食べて持ち帰りましたあ・・・ウフフ(*^ ^* )(笑)
来年も富澤先生のお誕生日に伺うのを楽しみに待っています。。。
文学のお話で盛り上がるのでまた一杯勉強しないといけません。。
富澤先生は太宰 治がお好きなので「津軽」をもう一度、しっかり読んでみます!!
院長秘書でした (^-^ )