25年2月16日(土)に院長が功労者として
「津軽・東京/吹雪の会」の総会で表彰されました。
この会は院長が育った、中泊町(旧中里町)出身で東京で活躍されている方々の会で
今年は100人くらいの会になりました。
中泊町の小野町長や町議会議員の皆さん、相撲界からは、宝富士が来賓として出席なさり、私も同じテーブルの席で緊張の中におりました。
順次進行され、表彰式になり、院長の名前が呼ばれ、小野町長から表彰状を授与、院長の謝辞と挨拶になりドキドキしながら聞いていました。
。。。。さすが!院長!(*^^*)長きに渡り講演活動をしてきた結果なのか?学級委員をしてきたせいか?ただ肝っ玉が大きいせいか?。。。。。。。。
小学校1年生から6年生までの担任の先生のフルネームとエピソードを楽しく、そして、これまで自分が頑張ってきた事も、現在も走り続ける事が出来る事も全て、担任の先生方に鍛えられたからである!!
「正典!頑張れ!正典は必ず世のため人のために生きろ!正典ならやれる!!」
と、「叱咤激励!飴と鞭!」で鍛えてくれたからである。。。私は先生方に感謝してやまない! と院長が話している中、出席者の皆さんがそれぞれ
「オー!」「俺も習った先生だ!」などスゴク盛り上がり
司会進行の方も「皆さんは1年~6年までの担任の先生をフルネームで言えますか?素晴らしい。。」と〆ました。
津軽弁で、皆さんが懐かしむ担任の先生や先生の家の場所や、1年生でバケツ持ちで立たされた話など会場の空気が一変し「横内正典オンステージ」に酔いしれた時間でした。
ふるさとを愛し、学友を大切にし、恩師に感謝をし続ける、青森に行くと必ず、白川先生に東京のお土産を届けることを忘れない!! 院長は本当に可愛い生徒であったに違いないと思います。
真面目で思いやりがあり、純粋でまっすぐな、眼差しは教鞭とってなくとも、この子は違う!と思っているかたは中里町に沢山いらしたと思います。
院長の挨拶が終わり、乾杯となり豪華なお食事が始まると、またまた人気者の院長になり引っ張りダコでした(^o^ )
わざわざ私の隣にいらした男性が「小さい頃、手の薬指が凍傷になり、横内先生(院長のお父様)に診ていただいたら、このままでは、指を切断しなくて はいけなくなるからと、ハサミで指先をカットしてもらい治ったんだよ、奥さんが病院を手伝っていて、田舎町には居ない、洒落ていて、とてもいい感じの何と も言えない安心できる医者だった」と健康な薬指を見せてくださいました。
院長と話をしたいけれど、皆さんに囲まれて中々、1人にならないから、どうしても話したくて、しびれ切らし私に話しにきたそうです。私は嬉しくてそ の男性の薬指をそっと撫でながら「良かったですね!本当に良かった!」と院長のお父様(勘吾さん)、お母様(ちゑさん)のお話が聞ける機会などあまりない ので、今一緒にいる様な気持ちになり涙が止まりませんでした。きっとご両親も私の傍で笑顔で聞いていて中泊からの院長の表彰に大変喜んでいらしたと思いま す。院長がご両親の子供であることを誇りに思うことを再確認した日でもあります。
お父様は町の「赤ひげ先生」で、有名で診察代を支払えない方でも往診にいき院長は良く冬はソリに乗り同行していたそうです。集金の時期はお母さんと 同行し、治療費を支払えない方からは野菜や米を頂いたりしたそうです。お父様はお酒が強く、歌もお上手で敵わなかったと聞いてます。
院長からはご両親の話は聞きますが、お父様の患者さんから聞けるなんて本当に貴重な時間でした。
あと、和服のご婦人が、お友達が院長の患者さんで、亡くなりましたが最期まで院長に感謝していたことを伝えたくて!とお話されていたそうです。
本当に嬉しく感動の嵐のような時間でした。
食事も美味しいうえに院長の好物の(菊芋、みずの1本漬けなど)も出てお酒も(ダク)があり、おみやげは院長のおばあ様がお得意だった(しとぎ餅)を買って帰りました。
今日ほど幸せをかみしめた日は無い!と私が思うのは院長の生きている道に半歩でも一緒に歩んで行けるように私達を引っ張っていてくれて、繋いでいる手を絶対に離さない信頼できる人だからです!。。こんな男はいません!この先も絶対いません!!
だから、スタッフにも日々、学びを与えて、人生の喜びに変えてくれるのです!!この揺ぎ無い、力強いエネルギーを毎日いただいている私達は院長と繋 いだ手を離すことなく、院長に離されることなく御縁に感謝し患者さんに還元するため、学び続け頑張り続けるのです!!。。。。エイ!エイ!オー!(^o^ )!!