お母様が喘息で院長の治療で症状が改善し、お嬢様から頂いたお手紙二通です。
拝啓
初冬のみぎり、いかがお過ごしですか?母は29年前、先生が田子町立病院にいらした時、喘息の治療で助けて頂きました。
2年間お薬を処方して頂き、お陰様で症状が落ち着きました。この27年間、一度も喘息の発作を起こすことなく、安心して暮らしております。
この度、横内先生が中里で講演されることを伺い、嬉しくてペンを取りました、
両親も「ぜひ、横内先生にお会いしたい」と張り切っております。
私も直接お礼を申し上げたいと思っております。
宜しくお願い申し上げます。
拝具
講演を聴かれて頂いたお手紙です。
こんにちは。
今日は夢のような1日でした。
30年ぶりに横内先生に会える。。。嬉しくて4時半に目が覚めました。出勤する日よりも早い起床でした。
今回の講演の事を知ったのは白内障手術で入院していた母が中里の方とバッタリ会ったことがきっかけです。
その方が本を手にしていたので「何読んでら?」と聞いたところ、
「絶望を希望に変える癌治療」の本。
横内先生が講演にいらっしゃると聞かされたという訳です。
なんという偶然!
いつかお会いしてお礼を述べたい。。と思っていた事が実現出来ると分かって本当に嬉しかったです。
横内先生との運命の糸はずうーとつながっていたのですね。
母は9年前、脾臓原発の悪性リンパ腫(Ⅳ期)と診断され、県病で抗癌剤治療を受けました。
3ヶ月後、西北病院に転院。合計で2年間の入院でした。
抗癌剤で癌細胞を小さくしてから手術する予定でしたが、血小板の数値が下がり、手術は中止。肝臓にも4ヶ所転移がありましたが、3年後までに全て消滅。脾臓の癌も画像には写らないようです。
もし、再発・転移した時には、横内医院へ行こう...という合言葉で、今日まで生きてきました。副作用に悩まされましたが、年々元気になり、東京にいる孫へ会いに行けるまで回復しました。
今回、白内障手術後、できるだけ安静を心がけて養生している状況です。
祖母の闘病生活を間近で見ていた娘。
私が漢方薬・鍼で喘息を克服したことも知っていたので、高校卒業後は、鍼灸師をめざして専門学校へ進学しました。
今年3月鍼灸師になり、鍼灸院に就職しました。
中医学に心ひかれいたので、その系統の鍼灸院を選択。漢方薬局が階下にあり、漢方の香りをかいでいると、心が安らぐ言います。
不妊治療がメインの鍼灸院。
不妊で苦しんでいる女性の数の多さに驚いています。体はもちろん、心をケアする必要性を感じているようです。
私と横内先生との出会いが、娘の職業を決めることに、大きく影響していたのですね。
今回、講演を聞けなかった母は、少し落ち込んだいたのですが、先生からのお土産を喜びました。
すぐに、仏壇・神棚にお供えし、拝んでおりました。講演内容を伝えたところ、目がキラキラして元気回復。
「雪がとけましたら東京へ行って、横内先生に会いたい!!」と宣言しています。
最近、気弱になっていたのですが、生きる喜びが湧いてきたようです。本当にありがたいことです。
田子町病院へ早朝に着いた時、横内先生はじめ看護師さん達が玄関に並んで出迎えてくれたことを、「死ぬまで忘れない」と言っております。
私もその光景をよく覚えています。横内先生が光り輝いて見え、「あぁ、私を救ってくれる先生だ!!」と思ったのです。
おかげで、教員採用試験に合格し、今も仕事を続けています。
28年の教職生活の半分は、特別支援学級(以前の特殊学級)を担任しました。その際の通信名が「ポレポレ」でした。
このつながりも、運命的です。
では、またお会いできることを楽しみにしています。