本屋での出会いで卵巣癌から生還(卵巣癌:女性)

ヒマワリ

あれは、忘れもしない平成10年の7月、最後の土曜日から悪夢が始まりました。

当時、家内は、歯科医院に歯科助手としてパートタイムで働いていました。前日の金曜日、いつもの勤務先の歯科医より帰宅の途中、地下鉄の駅から地上 にあがる階段の途中で非常に身体全体が重くなり、足が進まなくなりました。その日の夜中、家内がトイレに行ったおり不快なおりものが出たと、顔色を変えた 家内より打ち明けられました。

私は一瞬、大腸癌を疑い、その疑いを打ち消し単なる痔と思いましたが不快なおりものが気になりました。とにかく、夜明けと同時に車で約30分程の場 所にあるA病院に駆けつけました。病院の受付で事情を話し、すぐに婦人科で診察を受けました。工コー検査を受け、その日は土曜日だったのでそれでひとまず 帰宅しました。

週が明けた月曜日に再び同病院に行き、下腹部のCT撮影を受け、同検査の結果が出るまでの間しばらく待った後、婦人科部長の診察を受けました。私 は、医師の表情から事態は良くないと直感で感じました。医師は、エコー写真を見ながら、家内には診察室の外に出て行くよう促し、私に話があると告げまし た。家内も雰囲気から良くない結果と直感し、診察室の外の廊下の椅子で待っていました。

医師が私に告げたのは、家内はかなり進行した卵巣癌で腹水がかなりたまっているとのことでした。手術が必要だが、ここまで進行した卵巣癌の手術は同 病院で行った経験はないので、自信がないとのことで、設備と経験豊富な医師がそろった大学病院等の病院で手術を受けるようにすすめられました。とりあえ ず、その日は帰宅し、いろいろ調べた結果、知人より私達は大阪に住んでいるのだから癌治療で有名なB病院をすすめられました。

さっそくB病院に電話で予約をして、予約日(8月上旬)に私と家内でB病院へ行き、婦人科部長の診察を受けました。診察の結果、家内の病状は、卵巣 癌の第3期と診断をされました。早速、B病院に入院をして手術を受けるように指示を受けました。私も家内も症状からかなり悪性度の強い卵巣癌だとあらかじ め覚悟をしていましたが、正式にB病院の婦人科部長から宣告を受け、逆に心が落ち着き卵巣癌と戦う覚悟がつきました。それまで癌に関する知識に乏しく、癌 は死の病だと思っていましたが、家内が癌にかかったことで、覚悟がつきました。

早速、本屋に行き癌に関する本を買い集め、数日をかけ読みつくしました。その結果、卵巣癌3期の5年生存率は、平均で約30%ということが各本に記されていましたのでそれでは、30%の中に入れば良いのだとプラス思考を持ち、癌と戦う気持ちを持ちました。

B病院で、入院日は病床の空き状況で9月10日と決まり手術日は、9月20日と決まりました。入院日までは、B病院に外来で通い、手術に備え種々の検査を受けました。その間、家内は微熱が頻繁に出て、身体も日増しに衰弱をしてくるのが私にも分かりました。

9月10日、やっと家内は入院し、待ちに待った9月20日の手術日がやって来ました。手術当日は、台風が近畿地方を通過するという荒れ模様の天候の日でした。私は当時24歳の娘と2人でB病院の手術待合室で家内の手術の終わるのを待ちました。

約8時間の手術がやっと終了し、手術を執刀した担当医より切り取った家内の子宮及び卵巣を見せられ、術後の説明を受けました。説明は、2つの卵巣が 癌に侵されており、それと子宮にも癌が転移していたので切除したとのことで、同臓器の癌で侵された箇所を示しながら説明を受けました。

それに骨盤にもかなり癌が転移していたので、可能なかぎり骨盤に転移した癌を削りとったがこの状況では他の臓器にまだ癌が転移している恐れがある。 この卵巣癌は、手術で癌に侵された部位を切除し、その後抗癌剤を投与してひとまず癌が消え去った寛解期になって退院しても、ほとんどが1年以内に再発して 手が負えない状態になるとの説明でした。私と娘は同医師の説明を聞いて愕然としました。手術で癌は取り去ったものの、すっきりしない気持ちで娘と共に帰宅 をしました。

家内はそのままB病院の婦人科に入院を続け、手術日から2週間後の平成10年10月17日に同B病院の婦人科部長より家内の病理検査の説明がありま した。当日は私自身落ち着かず、B病院に向かう足も重かったのを覚えています。B病院12階の婦人科病棟にある看護婦詰所内の別室で婦人科部長、担当医 (執刀医)及び、看護師主任の3名の同席のもと家内の病理検査の説明がありました。全員の顔つきと雰囲気から検査結果は、良くない結果と直感しました。

部長の説明では、家内の癌細胞は、腹膜全般に転移しており当然、他の臓器、肝臓や胃等に転移している可能性があり、癌の悪性度は第4期と宣告されま した。そして追い打ちをかけるように、部長よりB病院は癌を治す病院であり、家内の病状は気の毒だが治癒は非常に厳しいので、取りあえず抗癌剤投与を行う が、時期を見てB病院が提携している緩和病院を紹介するのでそちらに転院をして頂くようになるとの説明でした。

緩和病院というのは、ホスピスの別名ですので、家内の病状は絶望的と宣告されたも同然でした。私の表情を見ていた看護師主任より「大丈夫ですか?」と、私を気遣う言葉をかけられました。その言葉により、逆に私は家内の病状の重さを感じました。

その日、私は薄然自失で病院より帰路につきました。帰路、デパ一トの書籍売り場に寄り、何か私の今の気持ちをカづけてくれる癌関係の書物がないかと 探しました。書棚に並ぶ色々の本の背表紙を見ていくうちに「末期がんの治療を承ります」の文字が私の眼に大きく留まりました。早速、同本を買い求め、自宅 に帰りタ食をとるやいなや一気に読みとおし、夜、寝床に入り、また2度読みなおし、その日の内に合計3度読みました。

翌日にはどのページに何の記事が書いているかまで暗記するほどになりました。特に私が感銘を受け、信用できたのは横内先生が正直に同先生の力が及ばず死亡された方々の人数を公表されていたことです。

家内が9月10日にB病院に入院して以来、私は毎日夕方、約2時間程病室に家内を見舞いその日の出来事などを家内と話をするのが恒例になっていまし た。横内医師著の「末期がんの治療を承ります」を購入した翌日、家内を見舞いに行き、本を家内にみせて横内醫院での治療を受けてみようと、熱く語ったのを 今も覚えています。

家にある「家庭の医学」の卵巣癌の項目を見ますと、第4期の卵巣癌の5年生存率は2%と記されていました。数字を見た瞬間は愕然としましたが、よくよく考えてみますと2%の人達が5年間生き延びているのだから私の家内もその2%の中に入れば良いのだと思いました。

早速、10月20日に「末期がんの治療を承ります」の本の後ろに記されていた横内醫院に電話をして家内の診察の予約を致しました。非常に予約が混ん でいて初診日は翌年(平成11年)の3月2日になりました。約半年後の診察日で篤きましたが、気持ちを切り替えて、初診日までの半年間は、入院先のB病院 で治療に専念してなんとか半年後の診察日まで少しでも良くなろうと家内と誓いあいました。

それからは合計6クール(毎月1クール、合計6カ月)の抗癌剤治療が行われました。毎月1回の抗癌剤の注射を打つと、約10日は猛烈な痛みが身体中 にはしり、ひどい吐き気が終日伴い、それこそ地獄の日々の苦しみが家内を襲いました。当然、髪の毛やまゆ毛は一切抜け落ちました。私自身、毎日、B病院に 入院中の家内を見舞い、励ます日々が続きました。いまだ横内医師の診察を受けていませんでしたが、家内の癌は治るという直感を感じました。

平成10年の年が明け、平成11年を迎えましたが入院中の家内は抗癌剤のため、顔は死人のようになり、家内の両親はもうだめだと思っていたそうで す。やっと、念願の3月に入りました。家内は2月で6クールの抗癌剤を受けて白血球は減少し、それこそ家内を一目見た人は死期が近い病人と思われたことと 思います。

横内醫院での診察に備えて家内はデパートでカツラをつくり、診察日の3月2日(火)の前々日に、家内は2泊の外泊許可を主治医からもらって3月1日に自宅にもどり、自宅で1泊した後、新大阪駅から奮発して新幹線のグリーン車で東京に向かいました。

東京駅より中央線で新宿に出て、同駅で総武線に乗り換えて東中野駅で下車と同醫院よりの案内通りで横内醫院にたどり着きました。家内は抗癌剤の後遺 症よりも、やっと念願の横内醫院に辿りついたという安心感でホッとしていました。同醫院に入ると先約の患者さんが数組来られて診察を待っておられました。

私達は予約時間より相当早く到着しましたので、待合室で待っていました。同醫院の待合室は、今もそうですが言葉では表現できませんが、空気に暖かい気が入っており癌でない私自身も身体中が何かに包まれて軽くなっていました。家内に聞くと同じ感じを受けたと言っていました。

診察時間が来て、診察室に入ると本で拝見した横内先生と看護師さんがニコニコ笑って座っておられました。家内が説明する病状を聞かれ、真剣な表情で パワーテストと触診で診察をされ、家内の身体には癌の活動性はまだあり、クラミジアトラコマースがプラスとの診断がでました。ただし、家内の身体には「病 気を治す力がある」とのことで家内ともども横内医師に託して頑張ろうと決意をしたことを今も覚えています。大量の漢方薬の投薬を受け、同醫院を出てその夜 は東京で泊まり、帰阪しました。

大阪に到着したら、家内はそのまま大阪駅からすぐにB病院の自分の病室のベッドに戻りました。そして3月中旬に6クール目の最後の抗癌剤投与を受け ました。横内医師からは抗癌剤は不要という指摘を受けていたのですが、B病院に入院している以上、病院の方針に逆らうことができなかったのが事実でした。

翌月の4月6日に第2回目の診察を受けるため、家内はB病院には外泊願いを出して私と上京し、横内醫院の診察を受けました。今回の診察の結果、癌の 活動性はないということになり、癌の活動性は絶対ないと横内医師から断言されました。いまだクラジミアトラコマースはプラスになっており、数種類の漢方薬 をもらって同醫院を出て、前回と同様東京で1泊して帰阪し、前回通り、家内はB病院の自分の病室のベッドに直行しました。いよいよ、5月11日にB病院を 退院しました。しかし、家内の身体は身体中に残っている抗癌剤の後遺症がひどく、まとまな生活ができる状況ではありませんでした。

5月26日に3回目の横内醫院での診察に家内と伺いました。診察の結果は、まだクラミジアトラコマースが残っているということで、前月と同様、大量の漢方薬の投与を受けて帰阪しました。6月の横内醫院の診察でもいまだクラミジアトラコマースが残っているということでした。

7月には、家内は久しぶりにB病院に、同病院で同室だった女性と検査のため、外来に行き血液検査を受けると膵臓癌のマーカーであるCE19.9の数 値が高く、またしても婦人科部長は大慌て状態になり、至急再検査ということになりました。私も家内から電話で上記の報告を受け、頭の中が真っ白になり、パ ニック状態になり、とっさに横内醫院に電話をしたり、ファックスをしたりしました。

横内医師より「絶対癌は発生していません」との返事を頂き一安心しました。家内は、同病院の再検査を受けましたが異状なしでした。これを契機に、家 内も私もB病院の検査の結果に一喜一憂していては、それこそ精神的によくないと判断し、B病院とは決別する意を固めました。そして横内醫院ひとつに専念す る決心をしました。

それからは毎月上京して、横内醫院で診察を受ける生活が続きました。平成11年10月26日での診察でやっとクラミジアトラコマ一スがマイナスの診 断を得ましたが、漢方薬はいつものように大量投与されました。翌月(11月)の横内醫院の診察でも投与される漢方薬の種類は減りましたが、それでも数種類 の漢方薬が横内医師の診断の結果投与されました。やっと同年の12月の診察では、同醫院にむかう家内の身体が軽くなっていると本人が感じたらしく、案の 定、その日の診察から漢方薬から解放されました。多分、やっと抗癌剤の後遺症から抜けたのだと思います。

年が明けても毎月1回、私と家内は上京し横内醫院での診察を受けました。結果は、全て問題なしでした。横内医師から、婦人科の癌は10年経過して何 もなければ全治と言われました。10年とは、まだまだ先が長いので、気長に構えていこうと、家内と話しました。その年、平成13年は、今度は家内の母親 (当時78才)が大腸癌にかかり、急遽、大阪市内の胃腸科専門病院で手術を受け、その後は横内醫院での治療を受けました。

ただし本人は高齢の為、横内醫院には家内が同醫院で診察を受ける際に一度一緒に行き、後は、写真を送って写真での診断を受け、同醫院より送られてくる漢方薬を飲んで治療を続けていました。その結果大腸癌の再発もなく、昨年9月に87歳で脳梗塞で天命を全うしました。

家内も平成13年より半年に1度の通院で後は毎月、写真を送り、診断を受けるようになりました。平成17年より1年に一度の診察でよいということに なり、1年に1度、横内醫院に診察に行き、後は自分で身体が不調な時は写真を送り、写真診断ということになりました。家内もどうしても神経質になり、少し 身体の調子が不調の時はすぐにその部位と全身のスナップ写真を私が撮り横内醫院に送りました。結果はいつも異状なしでした。

平成20年と21年は、孫を連れて同醫院で診察を受け、診察を受けた日は、東京で1泊し、翌日はディズニーランドに行った後、帰阪しました。気持ちにそれだけゆとりができた次第です。

今年(平成22年)の6月に家内と私との2人で横内醫院で診察を受けました。家内は横内医師より、初診から10年経過したので全治を告げられ、「お めでとう」の言葉を頂きました。私は癌ではありませんが、昨年から家内に同行して1年に1度横内醫院に行ったおり、健康診断で横内医師の診察を受けていま す。家内も10年経てば、横内醫院を卒業ですが、私も家内もこれから、1年に1度健康診断として横内醫院での診察を受け続けるつもりです。

現在、私は67歳、家内は60歳ですが、いま私達がこうして健康生活ができているのも平成10年10月17日にB病院での家内の病理検査結果を婦人 科部長より報告を受けた帰路、デパートの本屋でたまたま見つけた横内医師署の「末期癌の治療を承ります」との運命的な出会いのおかげと思っています。

その日、もし本屋に寄らなければ?、また、1冊しか残っていなかった同本がもし売れてしまって残ってなかったら?、私は横内醫院を知ることもなかっ たし今の家内の運命も変っていたと思いますと、つくづく横内醫院は神様が私達夫婦に橋渡しをして紹介して下さったと救世主であると感謝をしています。

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